──再会・待つ・老い──
人生の中で、同じ時間を生きていたはずの人と、いつのまにか遠く離れてしまうことがある。
思い出の中では、あの日のまま微笑んでいるのに、現実ではもう会うこともない。
それでも、人は心のどこかで、その人の幸せを祈りつづける。
作家・朝倉かすみの小説には、そんな「時の流れ」と「祈りのような想い」が静かに息づいている。
誰の人生にも起こり得るささやかな出来事を、彼女はまるで冬の光のように描き出す。
冷たく透きとおっていて、それでいてあたたかい。
🌙 一、『平場の月』──再会の光
中学時代の同級生だった男女が、五十を過ぎて再び出会う。
若い頃のように燃える恋ではなく、人生の後半に差し込む月のような光。
過ぎた時間を取り戻すことはできないが、「いま生きている」ことを確かめ合う物語。
それは、長い年月を越えても消えない想いが、
静かに形を変えて寄り添う姿を描いた作品だ。
🌆 二、『田村はまだか』──待つという祈り
居酒屋に集まった同級生たちが、
「まだ来ない田村」を待ちながら、
それぞれの人生を語り合う。
“待つ”という行為は、単なる時間の浪費ではない。
それは過去の誰かを思い、
その人が幸せであることを信じつづける、
祈りのような姿に近い。
🌇 三、『にぎやかな落日』──老いの中の輝き
年齢を重ねた女性たちの暮らしを通して、
老いの静けさと、その中にある鮮やかな色を描く。
「落日」という言葉が示すのは、終わりではなく、
これまでの時間を祝福するような光だ。
人生の夕暮れにも、
まだ笑い声があり、
まだ希望がある。
『田村はまだか』より ──待ち合わせの光
夕暮れの駅前に
ひとり、立ち尽くす時間がある
もう来ない誰かを、静かに待つ時間が
風が冷たくても
その胸の奥には
言葉にならなかった優しさが残っている
人生は 再会の約束をくれない
けれど 待つという行為の中で
人は 自分の過去を抱きしめている
朝倉かすみの物語には、派手な救いも劇的な愛もない。
けれど、静けさの中で確かに灯る“人のあたたかさ”がある。
それはまるで、冬の夜の月のように――
遠くから、私たちの心を照らしている。

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