正念と、将来を考えることについて

 「正念」という言葉に触れて、少し考えた。
 『葉隠』の中で「正念」とは、「今」に全身全霊を注ぎ、気を抜かずに生きることを意味している。雑念に心を奪われず、目の前のことにまっすぐ向き合う。心が澄み、意志が定まり、そこに迷いはない。そんな状態を指しているのだと思う。
 では、予定を立てたり、将来について思いを巡らせたりすることは、正念に反するのだろうか?
 たしかに、「未来ばかりに心が飛んでしまって、今が空っぽになる」ような状態は、『葉隠』の精神から見れば、戒められるべきものだろう。「後でやろう」と考えて今を疎かにしてしまえば、それはもう“正念”ではない。
 けれども、未来について考えるその行為も、今この瞬間に行っているものである。将来のために真剣に計画を立てる。その時、心が澄んでいて、まっすぐであれば、それは正念の実践と矛盾しないのではないか。
 つまり、
 「将来を考えること」も、「今を全力で生きること」も、対立するものではなく、両方とも正念の中に含まれうるのだと思う。
 大切なのは、「今」の心の持ち方だ。
 未来のことを考えるときも、目の前の掃除をするときも、ご飯を食べるときも、すべてに正念をもって臨むこと。そのとき心は迷わず、行動は冴えて、力が湧いてくる。
 「今ここ」に心を置いて生きること。
 それを繰り返すうちに、自分という根っこも、少しずつ育っていくような気がする。

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